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    最高のデザインが紡ぎだす患者と家族の物語

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特注の大型バス『ナラティブ8811』で生まれるストーリー

木の格子やステンドグラスの窓越しに、柔らかな光が舞い込む。無数の色と模様がパッチワークのように組み合わさった床、オリエント急行を彷彿させる金で縁取った照明、絢爛なフローラルパターンがあしらわれたシートに、スタイリッシュな木製のバーカウンター。

これだけ聞けばまるで高級ホテルのエントランスのようだが、実は、埼玉県の富家病院にある車イス用エレベーター付き大型バス「ナラティブ8811」の内装なのである。入院生活を送る人に非日常の旅行体験を提供するため、院長である富家隆樹氏の構想と、日本を代表するデザイナー水戸岡鋭治氏により製作された唯一無二のバスだ。

ナラティブホスピタル

このバスは三菱ふそうのAero Aceをフルカスタムしたもので、外観はブリティッシュグリーンと呼ばれる深い緑をベースとし、病院のロゴをあしらった金のエンブレムが高級感を漂わせる。敷地内に駐車されたそのバスは、患者や関係者など病院を利用する人の注目の的だ。

「ナラティブ/物語」は富家病院のフィロソフィーであり、バスの名前にもなっている。患者の人生の物語を一緒に紡いでいきたいという想いともに、富家病院には患者の日常を撮った写真が壁いっぱいに飾られた「物語の階段」や患者の枕元には日々の様子を綴る「ナラティブノート」などがある。

非日常体験

自身も大の旅行好きという富家院長は、以前からエレベーター付きバスを作りたいと熱望していた。病があっても家族と共に旅に出て、忘れられない時を過ごしてもらいたいという思いからだ。それには、入院している患者全てに利用してほしいという点が、第一条件だった。

このバスを作るうえでの難点は、エレベーターの導入だけではない。富家院長の希望は、エレベーターが上昇しナラティブバスの内装が目の前に広がった時、舞台で大観衆の前に上がるような高揚感を感じられるデザインだ。決して簡単な作業では無いが、乗客の心に一生残る記憶を刻むため、妥協は許されなかった。

このプロジェクトの進行には、並外れた想像力を持つアーティストと包括的な専門知識を持つエンジニアの、両者を兼ね備えたチームを構成する必要があった。三菱ふそうは、富家院長のビジョンを現実に変えることができる唯一の人物に協力を仰いだのである。

デザイナー 水戸岡鋭治

日本を代表するデザイナー、水戸岡鋭治氏だ。イラストレーターでもある彼は、フランク・ロイド・ライトやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ウォルト・ディズニーなどから幅広くインスピレーションを得ている。代表作である豪華寝台列車や新幹線などに見られるよう、彼のデザインには芸術的な美しさと車両としての機能性が調和している。

水戸岡氏は、独創性をとことん追求する。使い捨てのデザインを断固として拒否し、長く愛され続ける価値のある作品作りに専念する。車両のデザインを例にとれば、乗る人が深く感動し心が満たされ、旅を終えたときにはまた次の旅を考えたくなる、そんな乗り物を作り出すのだ。彼が鉄道車両で得た豊富な経験を、今度はバスに応用した。

立ちはだかる壁

経験豊富な水戸岡氏でさえ、病院用エレベーターバスのデザインは初めてだ。このプロジェクトの持つ独特な困難に直面する。「どんな企画にも障害物はつきもの。今回特に骨を折ったのは、バスが移動してる時でも車いすをしっかり固定する方法。あとはバス特有の車内の高さ故に、閉ざされた空間に開放感を持たせる工夫が必要だった。最終的な形に決まるまで本当に色々なアイデアを模索した」と水戸岡氏は話す。

試行錯誤を繰り返すことは、水戸岡デザインの根本でもある。また、ホンモノにこだわる彼は、どんな作業もその道のプロフェッショナルに依頼する。「付け焼刃ではない、時間と努力を積んだ職人による技術でしか、人の心を感動させることはできない」のである。

主人公を輝かせるセッティング

富家院長が熱望する「感動」の瞬間を叶えるには、バスの内装がとても重要になってくる。ここに、水戸岡流の真骨頂が発揮された。床は、アントニ・ガウディを彷彿させるカラフルで鮮やかなパッチワーク。壁や椅子に使われる生地のデザインは、ウィリアム・モリスを想起させる。額縁に飾られた江戸時代の肖像画やカーテン代わりのすだれなど、日本の要素もある。その他にも木製の格子細工やステンドグラス、革製の座席ポケットなど、世界中のデザインを盛り込んである。

しかし水戸岡氏によれば、個々の要素に注目することが目的ではない。デザインの真意は、心で感じるものである。「人は不思議だなと感じることで、心が刺激され想像力を掻き立てられる。『理解』することが目的ではなく、全体を通した経験そのものが目的なのだ」

バスの装備

装飾的な側面に加えて実用的な機能も兼ね備えるーーそれはインダストリアルデザインの原則とも言えるだろう。このバスに関しても、病院環境を考慮した様々なポイントに注目したい。車いす用のエレベーターは利用者が介助者とともに安心して昇降できるゆとりのある設計になっている。そして座席ごとに電源が配置してあり、人工呼吸器などが使用可能となっている。窓際のカウンターのキャビネットには、酸素ボンベが収納されており、また、自然と掴みたくなる木製の取っ手は車内での移動をさりげなくサポートする。どれも実用的で、なおかつ高いデザイン性と存在感を兼ね備えているのだ。

2023年に導入されたこのナラティブバスは、今後患者やその家族を連れた旅が予定されており、病院が取り組むナラティブの活動の一つとして皆に楽しみにされている。ところで、このバスには専任のドライバーとツアーガイドが配属されるが、制服のデザインも水戸岡氏が担当しているとのことだ。

富家院長の構想は、障害や疾病を抱えながら生活する重度慢性期の患者に、たとえ歩けなくても、せめて車椅子に乗れるようになって桜や紅葉など鮮やかな四季の移り変わりを楽しんでもらうこと。このバスから見る景色は車内のインテリアとシームレスに絡み合い、感動体験が一つの物語としてその人とその人の大切な人の心に刻まれるであろう。