
福島県南相馬の山あいにあるガレージにひっそりと佇む大型トラック。名車と名高い昭和50年代(1970年代後半)に生産された三菱ふそう「Fシリーズ」の、「FV」だ。後に「ザ・グレート」、現在の「スーパーグレート」に至る三菱ふそう大型トラックの先代である。
Fシリーズは映画にも起用されたことがあり、今でも根強いファンがいる昭和を代表するトラックである。最近レストアが完了したばかりのこの車両について、オーナーとレストアを担当した三菱ふそう整備工場のスタッフに話を聞いた。
すみません、何も見つかりませんでした。
福島県南相馬の山あいにあるガレージにひっそりと佇む大型トラック。名車と名高い昭和50年代(1970年代後半)に生産された三菱ふそう「Fシリーズ」の、「FV」だ。後に「ザ・グレート」、現在の「スーパーグレート」に至る三菱ふそう大型トラックの先代である。
Fシリーズは映画にも起用されたことがあり、今でも根強いファンがいる昭和を代表するトラックである。最近レストアが完了したばかりのこの車両について、オーナーとレストアを担当した三菱ふそう整備工場のスタッフに話を聞いた。
オーナーは地元南相馬で産業廃棄物処理や運搬業を営む金沢興業株式会社の社長、金澤茂美さん。金澤社長は根っからの乗り物好き。自家用車とバイクに加え、船舶まで所有しているという筋金入りだ。
若いころから家業を手伝っていた金澤社長が初めて運転したトラックがFVで、もう一度乗りたいという強く思い続けていた。ベースになる車両を日本中探していたが、2023年についに発見し購入すると真っ先に三菱ふそう仙台南支店に修理を依頼したのだ。
幾多とある修理工場の中でも三菱ふそうを選んだ理由は、かれこれ40年近くに渡る三菱ふそうとの関係性を通じた「信頼」だと話す。金澤社長の夢を叶える一大プロジェクトはこうして始まった。
今回車両の整備を担当したのは、三菱ふそう昭和51年入社のベテラン整備士、菅原さん。全信頼を置かれる工場のレジェンドで、今でも現役で若い社員にノウハウを教えている。
菅原さんは語る。「まず、1970年代の大型トラックはとても珍しいですよ。スタッフもほとんど見たことがなかったので、皆興奮気味でしたね。実際に点検したら、サビやオイル漏れなどの劣化が目立つ一方、分解して中を見てみると意外にしっかりしていました。エンジンは音を聞いてすぐに良好な状態だと分かりましたし、燃料タンクはとても綺麗だったので、自走に関して大きな問題はありませんでした。」
パーツの取り寄せに尽力した阿部さん
整備を担当した菅原さん
本プロジェクトを統括した針生さん
具体的な整備内容を紹介しよう。まずは足回りや車体全体の分解、清掃を済ませる。エンジンはロッカーパッキンを交換、V8用のステムシールを流用して修理を行うなど、年式違いでも使える部品を探して工夫した。エンジンはタペット調整、オイル漏れ箇所を直した。
ミッションは状態が良かったため、敢えて分解せずに点検のみ。しかしミッションのパッキンは代わりが見つからず、複雑な手作業で作り上げなければならなかったのが一番苦労したとのこと。
「車両修理という意味では通常通りに作業しただけ」と、大仕事を成し遂げたはずなのに菅原さんは謙虚だ。FVは自分が入社した時の世代の車両だから、当時培ったノウハウが生かされたと言う。言い返せば、彼にしかできなかった整備という奇跡のような巡り合わせも感慨深い。「昔の車両はエンジンがとても頑丈なので、この先もまだまだ走るでしょう。少しでも気になることがあればすぐにチェックしますよ」と、整備士らしく頼もしいコメントをいただいた。
菅原さんを筆頭に、さまざまな人々が修理に携わったことは言うまでもない。部品のリストアップ、廃盤部品の手配や実際のメカニック、さらにメッキや部品のリプロダクトなど、チーム一体となってプロジェクトは進められた。大変な作業ではあったが、誰もが口をそろえて「車両を修理しオーナーの喜ぶ顔を見ることが仕事のやりがいだ」と話す。
三菱ふそう仙南支店にて機能面の修理を終えたFVは、さっそく外観・内装のレストアに取り掛かった。ここからは金澤社長のこだわりがストーリーを動かす。
キャビンや荷台は車体から下ろし、グリルやクローム部品など細い外装部品は全て職人に作業を依頼。手作業で再研磨、再メッキを施すなど、当時の車両を完璧に再現するため細部には徹底的にこだわった。
また、1970年代の部品のほとんどは廃盤になり入手困難で、どこを探しても同じものが無い。レストアの中でも一番苦労したのはフロントガラス。社長自らリプロダクトで単品製作してくれる業者を探し出し、唯一無二の新品を作り上げたのだ。
各方面のスペシャリストの卓越した職人技、そして何よりも金澤社長の熱い情熱をもって、約一年後に車両が完成した。雄大に立ちすくむFVと対面した際、全身に鳥肌が立ったという。若き日々を共にしたFVが今、目の前に蘇ったのだ。再びFVに乗った印象は「感動の一言。最高でした!」と、とびきりの笑顔を見せた。
筆者も助手席に同乗したが、エンジン始動も実際の走行も、とても45年前の車両とは思えないほどスムーズだった。旧車特有の硬い乗り心地と、懐かしさで埋め尽くされた内装と装備が非常に贅沢な空間であった。海沿いのパーキングに停められたFVは、まるで1970年代にタイムスリップしたようだった。
ちなみにこの車両の魅力、さほどトラックに詳しくない人にも十分に伝わるらしい。道路を走っているだけで、人々の注目を集める。実際、取材中も後ろからピッタリ着けてくる車があると思ったら、同じ駐車場に停めてまでして声を掛けに来た男性がいた。数分後には彼の友人も集まり、車両を興味津々に眺めては、社長にあれこれ質問をしていた。
金沢興業は三代にわたって三菱ふそうのトラックを愛用し、会社を成長させてきた。平成7年式(1995年)のザ・グレートは息子さんが受け継ぎ、さらに平成元年式(1989年)と平成3年式(1991年)のザ・グレートをレストアする予定だ。車両のレストアは金澤社長の思いの具現化とも言えるだろう。
最近では、子供の頃から金澤興業の大ファンで、歴代車両を全て写真に撮ってコレクションしていたトラックが大好きな社員が入社するなど、会社全体でトラック愛が加速を続けているように見える。
完成したトラックの使い道を尋ねると、やはりトラックは商用車なので現場で仕事をするのが本来の姿だから、今後は運搬に使う予定とのこと。旧車イベントや働くトラックのイベントにも参加していきたいと考えている。このFVの姿を見られる日もそう遠くないだろう。
関連記事 過去の三菱ふそうレストアとそれにまつわる秘話はこちらから: レストアで蘇る、未来への好奇心 | 三菱ふそうトラック・バス株式会社、川崎オフィスに鎮座する、歴代キャンター。ふそうの誇り高きレジェンド。 |