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    ガソリンを燃料に、
    信念を原動力に

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エンジンが唸りを上げる興奮、クラッチを繋いで車が力強く走り出した瞬間の感動は、今でも忘れられない。

ガラガラと音を立ててシャッターが開いた。静寂に包まれていた三菱ふそう喜連川研究所の倉庫に朝の光が差し込み、5台のヴィンテージトラックが姿を現す。軽やかな足取りでトラックに向かう田代 桂は、使い古した工具箱をそっとコンクリートの床に置き、1970年式Vキャンターのエンジンルームを開けた。

波形の屋根を叩く雨音と業務用エアコンの音が響く倉庫で、運転席に乗り込んでイグニッションを作動させる。キーを回してエンジンをかけ、トラックが唸り声を上げると、思わず笑みがこぼれた。

モーターサイクルラリーの元メカニックで、受賞歴もあるモーターサイクルのカスタムビルダー。さらにモータージャーナリストの顔も持つ彼は、この瞬間にこそ生きがいを感じるという。自らの哲学である「限界を超える精神」に突き動かされ、年齢や肩書などあらゆる垣根を乗り越えてゆくことが彼の信念だ。

三菱ふそうマーケティング・コミュニケーションチームの一員として、またフラットトラックレースをはじめとする趣味の場においても、その冒険心は遺憾なく発揮されてきた。ヴィンテージトラックに新たな命を吹き込み、大胆で新しいコンセプトカーを生み出す。飽くなき向上心で伝統を活かし続けてきた彼は、本物の価値とこだわりを体現する存在だ。

生涯続く情熱に火が付いた瞬間 海辺の街・鎌倉で生まれ育った田代が、生涯続く情熱に出合ったのは10歳の時。友人の父親が所有する長野のキャベツ畑で、彼の世界は一変する。「友達のお父さんが、彼の私有地で小さな車を運転させてくれたんです。エンジンが唸りを上げて、クラッチを繋いで車が動き出した瞬間の感動は、今でも忘れられません」

人生を変える経験が転機となり、美大へと進学。その後、ラリーカーのメカニックやアマチュアバイクレーサーとして活躍し、自身のガレージブランドも一定の評価を得た。ヴィンテージトラックを丹念に改修しながら乗り続ける様子からも分かる通り、彼はこれまでの経験を通じて、エンジン車の伝統を次世代に繋ぎたいと考えている。

ヴィンテージへのこだわり 栃木にある三菱ふそう喜連川研究所には、年代物のトラックが数多く保管されている。2000年代初め、熱意溢れる社員有志が「ふそう名車復活プロジェクト」を立ち上げ、自ら進んで改修作業を行い、忘れ去られていた古いトラックを復活させたことがある。プロジェクトチームは解散し、年月が経過してトラックは再び手入れを必要としていた。

入社して間もなく、倉庫に眠る名車たちの噂を耳にした田代は、レストアされたトラックたちをもう一度復活させることを思い立ち、オリジナルメンバーと同じ道を辿ることになった。

「このビンテージトラックには、ふそうの哲学や精神が宿っている」

以前は、ほんの一握りの社員にしか知られていなかったこのヴィンテージトラックの存在が、今やソーシャルメディアを通じて世界中で共有されている。これは、ひとえに当時の名車復活プロジェクトチームのメンバーひとりひとりの努力の結果の賜物だ。

「日本語には『温故知新』という言葉があります。故きを温ねて新しきを知る。このヴィンテージトラックには、ふそうの哲学と精神が宿っていて、トラックの改修に向き合うことで、先人たちが直面した苦難や創意工夫の数々を知ることができるんです」

今を生きる 彼のSNSを見れば、運転への深い愛情に気づくはず。頼りになる旅の相棒・パブロフ(15歳のワイマラナー)を助手席に乗せ、毎週のようにバイクをめぐる冒険の旅に出る様子を写真に収めている。

「バイクは僕の人生の中で重要な役割を担ってきました。ライダーとしてまたカスタムビルダー、モーターサイクルジャーナリストとしても」。カスタムビルドを行う際は、タンクやフェンダーの組立からフレームの溶接、本革のサドル作りや塗装作業に至るまで、メカニックとアート部門の垣根を取り払って全行程を一手に担っている。

彼が所有するのは、ハーレーダビッドソン・スポーツスター2台とダートバイク数台、それにフラットトラックレーサーが2台。「51歳でフラットトラックレースに出場するようになり、今はフラットトラックレース一筋です」。田代曰く、バイクに乗る理由はとてもシンプル。「そこにあるのは、自分とエンジンだけ。他には何もないから」

未来に力を 喜連川研究所の倉庫には、田代氏の言葉を借りれば「まるでパラレルワールドから来たような」コンセプトトラックも数台眠っている。隣に停めてあるビンテージトラックとは対照的ではあるものの、両者はふそうの歴史や哲学によって結びついている。まさに温故知新だ。

2019年の東京モーターショーで展示された災害救助用トラックのコンセプトモデル「アテナ」を製作した際にも、田代は重要な役割を担った。イメージスケッチを基に、すでに市販されていた「キャンター」をベースに災害発生時の初動対応に特化した新たな車両を生み出した。「アテナのコンセプトや細部のディテールに至るまで、デザインのすべてに関わりました」と田代は言う。「日本は自然災害が多い国。アテナプロジェクトは、災害発生時にトラックのメーカーが果たすべき重要な役割を実証するいい機会になったと考えています」

「アテナ」の製作には、2011年の東日本大震災で被災した宮城県気仙沼でサポートドライバーとして支援活動に参加した際の経験が活かされている。「被災地の悪路を走行し、何度もスタックしたりタイヤをパンクさせた経験がアテナのデザインに活かされているんです」

固定観念や決めつけが横行する世の中に、目新しさとしなやかさを持ち込み続ける。その身体には、血液とガソリンが流れているのではないか?と思わせるほどに。彼にとって激務や好奇心、冒険への欲求、そして変化に適応できるオープンな姿勢は、さまざまな障壁を取り払い、新たな気づきを得るための鍵となっているのだ。